思いつくままに
2005年10月大学2年の長男がなくなりました。
もっとたくさん一緒の時間をもてたらなとの後悔先に立たず・・・。
2005年12月をもって、藤掛ファンページを完全に引退することにさせていただきました。
後任はIZZYさんにお願いしました。
その時に、思いつくままにきままに掲示板にカキコさせてもらいました。





思いつくままに、その1(1970年POPS)
 投稿者: 管理人  投稿日:12月29日(木)21時57分6秒

割愛


思いつくままに、その2(クラシックギター独奏曲)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)01時11分13秒

ここ数年、大学のマンドリンクラブの1つ上の先輩が、静岡に単身赴任で来ていて、
よく飲み連れてってもらいます。在学中より私はその先輩を敬愛していましたので、とっても
静岡にきてくださっている縁に感謝しております。
その先輩は、セロパートだったのですが、フォークギターも歌もとっても上手なんです。
焼き鳥屋で飲んだ後、先輩が「クラシックギター弾けるお店があるからそこいこ。
ギターも結構いいやつ」というので、夜の街を後をふらふら着いていきました。
(この話は4月に私が演奏会復帰した後のことなので、爪もあったし、指も少しは動いたときの話です。)

お店は10人入れる位のカウンターだけのお店でしたが、ほかのお客さんがいるのに
先輩、全然かまわず(酔っている)ギターを取り出して、「ショーロ」を弾きはじめました。
私は、ほんとに驚きました。学生の時はクラシックギターやっているのを見たことありません。
社会人になってからの趣味で練習しているのです。次に弾き始めたのが、なんと!
F.ソルの「モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲」! 難曲です。
すごいなあ・・・ってほんとびっくりしました。その後、
「成瀬、なんかやって」ってひょいと渡されました。ヤマハの結構美しいギター。

「禁じられたあそび」で指ならしした後、タレガの「アラビア風奇想曲」を弾きました。
指の届かないところは、ハーモニックスで逃げたり、難しい間奏部はカットしたり、
ごまかしだらけですが、とにかく曲を通せたのです。
そしたら、見も知らないお客さんが5人くらい一斉に拍手してくれたのです。
酔った私はまったく周りがみえてなかったのですが、酔ってたがゆえに没頭して
弾いていたようです。

あっ、これは自慢話のつもりでは、まったくありません。(ご容赦ください)。
そこのお店はクラシックギター専門店ではありません。どっちかというとJAZのお店です。
そこのお店で拍手してくれた人は、たぶん、初めてアラビア風を聞いたのだと思います。

音楽の面白さは、楽譜どおり弾いても、よどみなく弾ければとても楽しいし、
それに自分で考えて曲に魂みたいなものを入れて弾ければ、なお楽しい。
独奏曲はまさに、ひとり静かな部屋で弾けば、いたらぬ点やきたない音に嫌気が差し、
逆にいい音がでたり、思ったように曲の作りができたときはとても嬉しい。
左手の押さえや運指、右手のタッチいろいろ悩めるし楽しめます。

私が中学3年の時にビートルズにあこがれ、ギターをはじめ、高校でギターの弾ける
クラブということでマンドリンクラブに入部しました。私の幸せは、ひとつ上の先輩に
名人がいたことです。影響をモロにうけ、わからないところは、目の前で弾いてもらい、
ほんと目の前で見れるというのが素晴らしいことで、とてもいい環境でした。
しかし、10人くらい同じ学年のギターパートがいたのに、独奏曲をやっていたのは、
たぶん私だけだったんです。
そういえば大学のときも、同じ学年に7人ギターパートがいて、やはり上級生にプロ級の
名人がいたのに、独奏曲にトライしていたのは、私以外にギターチーフになった彼1人でした。
大学のみんなは結構高いギターを買っていたのに・・・。

独奏曲をやれば、かなり腕があがります。それはそうです。そして、学校卒業後も
趣味として一人で弾くこともできます。
マンドリン合奏において、ギターパートの役割は諸説あるでしょうが、いい音を曲にあわせて
効果的に奏でられることが大事です。アポヤンドもアルアイレもわからず、弾いてるようでは、
まったくしょうがないと思います。
そこで、私は思うのですが、新入生にそれぞれ1曲づつ別の曲を課題として与えて、ギターパート内で、
ミニ発表会をすることを強く勧めたいです。合奏曲の練習もあるでしょうが、ぜひ、やってほしいと思います。
2年になったら中級の曲を。そして3年間のあいだに数曲はレパートリーとして
身につけられれば最高だと思います。

ちなみにうちのワイフは大学からギターを始め、私が絶対弾けなかった「ディアハンターのテーマ」
やビラロボスの曲など卒業までに10曲くらい後輩の前で、演奏していました。
私が4年彼女が3年の時は、二重奏でファリャの「はかなき人生」を部内演奏会でやったりしました(無謀!)

そして、後藤さん風に(^^)独り言。
「パストラルファンタジーの主題による変奏曲」とか「グランドシャコンヌ奇想曲」
なんて、藤掛作品のギター独奏曲を聴いてみたい!!!!
もちろんまったく新しい曲でも素敵です。
それをあの有名女性ギタリストに弾いてもらって、テレビで流れないかなあ。
そう思うのは私だけでしょうか。


思いつくままに、その3(ひょっとして指揮者?!)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)04時55分31秒

毎日練習のあった高校のマンドリンクラブから、神戸大学マンドリンクラブに入って、
週2回の練習。なんか物足りなかった。
しかも、1年の時の定演(1978年)のメイン曲が、帰山栄治さんの「ハ短調の序曲」。
ギターパートから曲を感じてたので、むずかしくてよくわからなかった。
関西弁はしゃべれないし、ギターパート員の不足で、1年でただ一人全ステージ出たので、
同じ学年からはちょっとちがう感じにうけとられ、私は浮いていました。
それなのに定演終了後、楽器が弾ける=音楽性がある=指揮者
と思われ、指揮者候補になった。私は背が低いというコンプレックスを持っていたので、
とてもイヤでした。だいたい指が器用に動くことと音楽性はまったく別物です。
ギターの調弦だって、音の高い低いはよくわからず、とりあえず回してうねりがなくなった
ところで合わせていただけなのですから。裏打ちはまったくできないし。走るし。

でも正式になった時のために、曲探しの準備を始めました。
指揮法とか和声の勉強じゃなく、曲探しでした。
私は演奏会のプログラムがとてもとても大事だと思っていました。
しかし、今とちがってインターネットはないので、先輩たちの演奏した曲しか音源がなく、
マンドリン合奏にどんな曲があるのか、さっぱりわかりませんでした。


思いつくままに、その4(関西学院・同志社・立命館)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)05時40分21秒

曲探しが始まりました。
私はスコアから音を感じることはまったくできなかったので、曲探し=テープ探しでした。
当時関西でマンドリンの上手いクラブといえば、同志社、関西学院、立命館という、先輩からの評でした。

幸い関西学院には、高校の同級生が入部したため、演奏会に気楽にでかけました。
しかし、とても上手で迫力のある演奏をしていたのですが、クラッシク編曲物が中心で、
今は曲名が思い出せないのですが、クラシックですごく有名な曲をやったのですが、
どうしても私の心に入ってこず、大栗氏の曲(その時「土偶」でした)は、とても
感銘を受けたのですが、有名クラッシクからの編曲物は敬遠したくなりました。

同志社には、高校のときのクラブの5つ上の先輩がいたと知り、卒業して静岡に戻っているという。
早速初対面でしたが訪ねていきました。その先輩は卒業後もおそらく今でもマンドリンを
やってられている熱心な方で、とってもすばらしいことに、同志社の定演のテープを
40本以上持ってられたのです。ごそっと貸していただき、本当に感謝でした。
ほとんどがイタリア古典(当時こういう言い方をしていました)で、演奏レベルは
とても高く、中でも猛スピードの「序曲ニ短調」には気絶するほどほれ込みました。
そのテープのお陰で、おそらく200曲以上の曲を知ることができました。

立命館にも、やはり高校のクラブの4つ上の先輩がいると知り、早速京都の自宅に、
これまた初対面でしたが、訪ねていきました。
私は高校のときに「受難のミサ」や「朱雀門」を演奏しとても感動したので、鈴木静一氏の大ファンでした。
この先輩は指揮者で、膨大なテープを持っておられました。この時お借りしたテープで、
当時鈴木氏の作品が40数曲あるらしい中で30曲もの曲を知ることができました。


思いつくままに、その5(東海学生マンドリン連盟)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)19時07分44秒

名古屋では、東海学生マンドリン連盟の演奏会で2日かけて邦人作曲家の曲が次々と
新作発表されているらしいと先輩より聞きました。
2年の夏(1979年)、名古屋まで同学年の実家に泊めてもらって2日間ラジカセ持って出かけました。
その時のもっとも注目は、岐阜大学ブロックの藤掛先生の「セレナーデNo.4」(初演)。

このステージに、このページを初めてより知り合った、透明人間さんとKunicaさんが
演奏しておりました。オフ会でお会いできとても嬉しかったです。
Kunicaさんとは何べんも飲むことができ、今はアメリカでしょうか、とても楽しく飲む
ことができ、ほんと楽しかったです。
透明人間さんとは、初期に貴重な情報を沢山いただき、もっともっと、お話したかったです。

その時、「セレ4」以外に感銘を受けたのが、川島博氏作曲の「嘆きの歌」。
あとチゴイネルワイゼンのソリストの素晴らしい演奏。

その後、藤掛先生にお願いしてセレナーデシリーズの曲のテープを送って貰いました。
私の初めての藤掛先生へのコンタクトです。
セレナーデNo.1とNo.2のテープを頂き、一発で「セレナーデNo.2」が大好きに
なりました。この曲を指揮者になったら必ず振ろう!と。

その時、3がなくてなぜに4?と思いましたが、3の初演は、1、2、4より2年遅れて、
富山大学マンドリンクラブが発表したのですね。このHPを初めてより解けた謎の一つでした。
「セレナーデNo.3」の初演に参加していた、富山大学のFUMINさんには、
藤掛先生参加の初オフ会(東京市ヶ谷)に参加していただきとっても楽しかったです。


思いつくままに、その6(選曲)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)19時48分20秒

2年の夏(1979年)に正式に指揮者に決まりました。
その時考えたこと。
 ◆東海学生マンドリン連盟で提起している、邦人作曲家の曲を中心にしよう。
  関西ではきっとめずらしいはずだ。うちのクラブの先輩からの流れもあるし、
  私の好みにももっとも合致している。
 ◆定番ともいえる名曲を自分たちなりにものにして、取り上げていこう。
 ◆25年の歴史をもつ我がクラブで取り上げてない曲を選ぼう。

その結果、私が指揮した曲。
 ●3年の京都演奏会・・・「楽詩『雪の造形』」(鈴木静一)
                「群炎T」(熊谷賢一)
 ●3年の神戸学生マンドリン連盟・・・「ボカリーズ第一章『暁の歌』」(熊谷賢一)
                   「受難のミサ」(鈴木静一)
                   「八つのバラードより『木馬』」(藤掛廣幸)
 ●3年の定演・・・・・「黄昏」(D.Berruti)
             「序曲ニ短調」(ファルボ)
             「細川ガラシア夫人」(鈴木静一)
             「セレナーデNo.2」(藤掛廣幸)
             「歴史的序曲」(帰山栄治)
 ●4年の東京演奏会・・・「祈り」(ボッタキアリ)
             「シンプルシンフォニー」(尾園勝善)
             「GRAND CHACONNE」(藤掛廣幸)
             「歴史的序曲」(帰山栄治)
 ●4年の定演・・・・・「交響的前奏曲」(ボッタキアリ)
             「土偶」(大栗裕)

合計16曲指揮したのですね。そのうち神戸大学で初めての曲が、
立命館のテープより1曲、同志社のテープより2曲、関西学院から1曲、東マン関係で
1曲、グランドシャコンヌで、合計6曲。これは、多いのでしょうか少ないのでしょうか?
こう取り立てて今更書いているのは、「マンネリ化の打破」をテーマにしていたからです。
その延長線に、現れてくるのが、新曲の委嘱だからです。
そして「グランドシャコンヌ」との出会い。
そしてこのファンのページへと流れがそこにあったからです。

そういえば私の時、25回記念定演だったのですが、OBステージはありませんでしたが、
パンフレットに、今までの演奏会の履歴を第1回から載せました。
今回の後輩の50回記念では、ありませんでした。OBからすると残念に思います。
歴史は資料として残してもらいたいです。

2015年夏、神戸大学マンドリンクラブ創部100周年の記念行事がありました。
その時に、100周年記念誌が発刊され、歴史が資料として形になりました。
とても嬉しく思いました。(2020年3月成瀬賢次)



思いつくままに、その7(行動力)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)21時42分4秒

この間の神戸の演奏会で、私の2つ下の愛弟子の高田くんにあった。
なつかしかった。彼はOB合奏のきねづかでも指揮をしていた、私の自慢の弟子です。
彼は昔、「成瀬さんは行動力のある指揮者だった」と評してくれてたそうです。
音楽のことをほめないのが、しゃらくさいのですが(笑)。

確かに私は、当時、初対面の人をまったく恐れないという気質でしたが、
作曲家の先生の家に出かけさせてもらいました。

敬称略ですみません。
藤掛廣幸(岐阜)
帰山栄治(名古屋)
松本譲(京都)
桑原康雄(神戸)
龍野順義(大阪)
やはりずうずうしかったですね、私。
でもその出会いはすべて血となり肉となったように思います。
かなりの刺激をうけました。気さくに会ってくださった先生方にとても感謝しております。


思いつくままに、その8(松田先生)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)22時02分13秒

私の大学の時、経営学部で統計の松田ゼミに在籍してました。
松田先生は、フルートを趣味でやってられる音楽大好きな先生でした。
定演(1980年)にも来てくださり、「ガラシア」のフルートにいたく感動しておりました。
私の指揮のことも結構ほめてくださったのですが、
定演後、「成瀬くん、大学院にこないか」って突然言われました。
私はゼミの中では劣等性だったためとても驚いたのですが、誘っていただいたのは
以下の理由からでした。

「成瀬くんの定演のパンフの文章読んで、いたく感じることがある。気に入った」というのです。
その文章は自己紹介ページで、

■僕は、大学で勉強しようと思って静岡から神戸まで来たのに、経営学に見放されて早1年。
 マンドリンクラブからの脱皮を考え、今夏1ヶ月のヨーロッパ一人旅を決行。
 毎日生きていくのに精一杯だったけど、スペインやイタリアではつい楽器屋をのぞき、
 音楽にあわせて無意識に指揮を振ってしまう。ああ・・・わが学生生活は ついにクラブ化したか・・・・・・。
  今日も、クラブの始まる時間にあわせて、目覚まし時計がなる。(おじん小僧)

おじん小僧とは当時そんなあだ名を同学年から不本意ながらつけられた。
この文章のどこが先生の心をとらえたのかわかりませんが、とにかく誘われたのです。

「そういえば、成瀬くんは第2外国語なにとった?」
「中国語です。」
「えっ! じゃあ駄目だ。この話はなかったことに。」

松田先生は、私たちの結婚式に静岡まできて祝辞をのべてくださりました。
そんな先生もあの震災で亡くなられました。
人の一生って・・・
ルミナリエで祈ったのでした。


思いつくままに、その9(グランドシャコンヌとHPの開設)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)22時25分13秒

このHPは、1999年8月にスタートしました。
もう6年半になるのですね。びっくりです。来場者も15万アクセスをこえ、
ほんとうに多くのファンの皆様に来場していただきました。
このHP開設のきっかけは、当初からの方にはもうご存知のことと思いますが、
新しい方もきっとおられると思うので、もう一度書かせてください。

グランドシャコンヌの初演を、私は緊張のあまりいくつかの痛恨の指揮ミスを犯しました。
演奏者はかなりの練習と意気込みで熱演してくれたのに、私の力不足で何箇所か失敗しました。
とくに悔やまれるのが、グランドポーズの後のむずかしいリズムのところ。
気負って指揮棒を指揮台にピシッとあてたので、はっとしたら、私の動揺がみんなに
伝わりリズムが崩れだしました。
それを合わせにいったので、音量がデクレッシェンドしてしまったことです。

初演のテープを藤掛先生のご自宅まで持っていって一緒に聞いてもらいました。
藤掛先生は「初演としてはまあまあ」とせっかく言ってくださったのですが、私は下を向いてたのです。

卒業後、マンドリンとはすっかり離れてしまい、たまに思い出す時は、
グランドシャコンヌを気負った自分の弱い心にいつもチクリとした痛みを感じ、18年過ぎました。

インターネットを始め、最初にやった検索は「グランドシャコンヌ」「藤掛廣幸」の
キーワードでした。そこで、先生のHPを知りマンドリン合奏参考資料CDのことを
知り、グランドシャコンヌが入ってるCDを見つけました。
1週間ほど悩み、さりげなくCDを注文しました。
どんなグラシャコが先生に選ばれているのかなあと。

最初の酔っ払ったような3拍子で、すぐわかりました。
えーー!まさか!!! うちの演奏???
心拍数がバクバク上がったのを覚えています。
指揮棒を当てた音を聞いて確信しました。自分たちの初演の演奏だと!
急に涙があふれボロボロ泣いてしまいました。
「先生はこの演奏で許してくれたのか・・・」

おそるおそるお礼のメールを藤掛先生に送ったところ、思いもかけず感動的なお返事を
いただき、とっても嬉しかったです。そして長年のトゲもとれたのです。

「よ〜し、いっちょ藤掛先生を応援するHPを作ってみるか!」
それが始まりです。


藤掛先生は12月10日の「25年!!!」という書き込みをしてくださりました。
とっても嬉しい反面、本当に私なんかには過分のお言葉で恐縮してしまいます。


思いつくままに、その10(HP開設の時の夢)  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)22時31分31秒

そう思いたったのはよかったのですが、HPなんてどうやって作っていいかさっぱり
わからず、周りの人に聞いても、教えてくれる人はまったくおらず、途方にくれました。
当初、きねづかの杉本さんや、モザールさんのはっしーさんに助けられたこと、とても感謝しております。

しかし我ながら、その時トレピックすら知らず、本当にグランドシャコンヌネタしかなかったのに、
よく始めたものだと思います。
自分が知らないのだから、みんなに情報を出してもらえばいいじゃん。
そうだファンのみんなの参加型HPを作ろう!
と開き直ったのが、思ったとおり行くのかとても不安でしたが、良かったようです。
また、私自身がどこの楽団にも属さずまったくの一個人だったのも、皆様が応援しようと
思ってくれたひとつではないかと思います。

HPを始めたときの、夢。
 ◆「グランドシャコンヌ」のもとになった吹奏楽の「シャコンヌ」を聞いてみたい。
 ◆私の大好きな「パストラルファンタジー」の初演情報を知りたい。
 ◆藤掛先生に掲示板に書き込んでもらいたい(^^)
その3つだったように思います。

その夢はお陰さまですべてかないました。
すると次の夢が(笑)。

 ●藤掛先生とファンのみんなでオフ会をしたい!

この市ヶ谷のオフ会が最高の思い出です。楽しかったなあ。


新年おめでとうございます  投稿者: KEM  投稿日: 1月 1日(日)19時05分17秒

こちらではかなりお久し振りです。
管理人さん。読みごたえたっぷりですね! 自分の経過と合わせて読んで反応しまくりだったので、つい書き込み致します。

「マンネリ化の打破」
そうですね、田舎では尚更だったかもしれません。
私がマンドリン部に入ったのは、新歓コンサートで聴いた「パストラル・ファンタジー」に一発で惹かれて
「あれを弾けるのなら」と思ったからでした。
当時先輩の間でも「イタリア・オリジナル最高!邦人曲なんて・・・」派と「今の時代のものを弾きたい」派で
結構論争があったような・・・? どちらにせよ選択肢が少なく、数年サイクルで曲を選び回していた気がします。

マンドリン生活は卒業で終わったつもりでした。社会人団体で続けているダンナから様子を聞いても
「変わってないのね。」って。いえ、悪くはないのですが魅力を感じなかったのも事実。
ある時ふと「そっか、やりたい曲の楽譜を作ってしまえばいいんだ。」と思い付いてしまいました。
どうもそこで道を踏み外した気が・・・(笑)

メッカではいろんな動きがあったのに、余りに無知でしたね。
求めれば新しい曲・魅力ある曲にたくさん出会えたはずなのに。
今はいいですね。求めれば欲しい情報は手に入ります。でも選択肢が多くて逆に困るのかも?

などなど、思いつくまま書いてみました。
管理人さん、今年もよろしくです。
例のビアジョッキ(こちらにもあるんだよ〜ん)で、乾杯!


今年もよろしくお願いいたします  投稿者: 風待鳥  投稿日: 1月 4日(水)00時07分59秒

管理人さま
「思いつくままに」をフンフンフンとうなずきながら読ませていただきました。
こうして書き込まなくても読みながらフンフンフンとうなずいている人は
きっと他にもたくさんいるはずです。
そんな人たちと一緒にまた今年も、心のオアシスのようなこのページに
お世話になりますので、よろしくお願いいたします。

そういえば藤掛先生のページ、
トップページがとっても楽しくなりましたね。


れすレス。  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 4日(水)02時39分20秒

昨日、ワイフの実家の大阪から戻ってきました。
思いつくままにカキコしていたのですが、カキコいただき誠にありがとうございます。

はばまろさん
「アラビア風奇想曲」に反応いただきありがとうございます。
本当にはばまろさんとは、似たような時代背景、好みの傾向が似ているようで、とっても
親近感を感じます。
また、演奏会へ復帰したのもお互いに昨年ですし、息子さんの進学先といい、共通の話題が
多くて、おそらく飲んでお話していたら、一晩じゃあ終わりそうもありませんね(^^)

KEMさん
お久しぶりです。いただいたジョッキとても愛用しております。なんしょ、よく飲んでます。
そっかあ、曲をつくちゃあよかったのか(笑)。
でも、これだけはたとえ思いついても私は実行できないなあ(尊敬のまなざし)。
KEMさん作曲の曲が、あちこちで再演されているようで、その素敵な才能にブラボーです。
たしかに今は求めれば消化不良になっちゃいそうなほど情報があるので、私が今もし選曲する立場だったら、
う〜んと悩みながらも、一つの演奏会全体で、一つの交響曲みたいなプログラムが作れそうな気がします。
KEMさん益々のご活躍をお祈りしています。

風待鳥さん
いつも心温まるお心カキコをいただきまして、感謝しております。
前にいただいたエッセイ
 「熊さんと八つぁんの会話・其の一『鳥の音楽』」
 「教科書と兄とSFホラーと水のリズム 〜5拍子って何だ?〜 」
が、なんとちょうど6年前になるのですね。藤掛先生がそのエッセイを読んで、おほめの
言葉を頂いた時は、我がことにように嬉しかったことを思い出します。

ここをお読みの皆様もぜひ、以下の風待鳥さんのHPに遊びにいってみてください。


思いつくままに、その11(新曲の委嘱)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 4日(水)03時47分42秒

母校の情報で恐縮ですが、先月の定演のパンフに以下の記事が載っていました。

神戸大学マンドリンクラブ委嘱作品リスト

1972年 「蜘蛛の糸」         田島孝一
1974年 「前奏曲」           田島孝一
1974年 「CAPRICCIO」        帰山栄治
1978年 「   」(無題)       石川 透
1979年 「VARIATIONS」       石川 透
1981年 「GRAND CHACONNE」   藤掛廣幸
1982年 「三つのアラベスク」     龍野順義
1982年 「Ouverture Historuque No.4」 帰山栄治
1984年 「バラード」         川島 博
1984年 「響」             龍野順義
1985年 「風の神話」         尾園勝善
1986年 「心象」           龍野順義
1987年 「雪と炎」          中村茂隆
1992年 「Cosmic Dream」       水野真人
1996年 「祈り―輝く街へ―」     小林由直
2001年  PromenadeW「Switch Back」  加賀城浩光
2005年 「汽笛の丘〜鳴り継ぐ想い〜」 柴崎利文

敬称略ですみません。それと副題は割愛しました。
1972年以降33年間で17曲、およそ2年で1曲、新曲を送り出していたことになるようです。

曲を委嘱するということは、当然予算がかかることだと思います。
曲を依頼しようと思った企画意図もきっとあることでしょうし、
部員も初めての曲を披露できるという気持ちをいれて練習したにちがいありません。
そして、受けてくださった作曲者の方も、全力で曲を作ってくれることと思います。

その曲が演奏会場でしか世に発表できず、基本的に来場者しか聞けないとするならば、
どうしたら、意義あるものにできるのでしょう?
作曲者の意図を大事にし、一生懸命練習するのが一番大事ですが、それだけでは・・・

グランドシャコンヌ初演の時は、渉外マネージャーが、まったく面識のない東京の大学のサークルに、
「あのパストラルファンタジーの藤掛さんの新曲発表がある」というキャッチで回りました。
藤掛先生のネームバリューを最大限利用して、集客に努めました。たくさん来場者ありました。
そして、そのあとの7月に、私の一つ下の代が、神戸学生マンドリン連盟で取り上げました。
東京と神戸でグラシャコは演奏され世にでました。

私はこのHPを始めてより、新曲発表を何回か聞きに行きました。
その中で、お客がガラガラの演奏会があったのです。その時に、とても寂しく思いました。
新曲発表という行為を行いたいというためだけに、お金や努力をつぎこむ人はよもやいないと思います。
新曲を初演したというだけの自己満足に浸ることがあってはいけないと思います。
責任を持って世に送り出せたらいいのになと強く思います。


思いつくままに、その12(藤掛作品演奏回数)  投稿者: 管理人  投稿日: 2006年1月 4日(水)17時19分14秒

実はこのHPの中で、私がひそかに自慢し皆様に感謝しているのが、

「藤掛廣幸マンドリン作品 曲目別過去の演奏団体」の項です。(以下のURLです)

このページは、この曲をいついつどこで弾いたよ、という簡単極まりない情報ページですが、
選曲にあたり、その曲を選んだということは、愛着があるから、好きだからこそ、
演奏会の演目に取り上げたのだと思うんです。
もっとも多くの皆様に簡単に参加していただけるだろうと、企画して作ったのですが、
このコンテンツが実際一番情報が寄せられ、また、もっとも更新回数の多いものとなりました。
このコンテンツは、自分で更新したのは、自分の演奏した曲だけで、一ファンの立場で
寄せただけで、あとは頑なに、皆様からのいただける投稿情報だけにこだわりました。
大学の後輩のですら、自分では入れてなくて、後輩から「なぜ漏れてるんですか、冷た
いじゃないですか」と怒られたこともあったほどです。(笑)
それほどのこだわったページです。

結果 「663」 もの情報が寄せられました。
そのランキング発表!(2005年12月時点)

1 パストラルファンタジー   138
2 グランドシャコンヌ     80
3 セレナーデ.2       37
4 スタバートマーテル     36
5 星空のコンチェルト     35
6 詩的二章          30
7 トレピックプレリュード   28
8 八つのバラード       22
8 夜明けの讃歌        22
10 じょんがら         21
10 エンジェルコーラス     21

となりました。
もちろん新しい曲は上位に入るはずはないのですが、グラシャコが2位だったのが素直に嬉しいです(^^)

多くの皆様から投稿いただけましたこと、誠にありがとうございました。


思いつくままに、その13(藤掛作品初演情報)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 4日(水)18時01分29秒

もうひとつ、このHPの中で、もっともエキサイティングに楽しんでいたコンテンツが

「藤掛廣幸マンドリン合奏曲作品リスト」の項です。(以下のURLです)

このページは、藤掛作品のマンドリン合奏曲が、どんな曲があって、いつ世に出たかの
初演情報をUPしていたのですが、確報を持ってられる方が、なぜか遅くて(笑)、
情報が本当にだんだんと集まって、1つの曲の初演情報が確定するまでに、何回もの
情報でなりたった曲もたくさんありました。

正直、初演団体がHPを持ってインターネットやっているのに、または、初演関係者が
このHPのことを知ってると思われたのに、情報が寄せられない時は、じりじりしました(笑)。
なかには、某HPの邦人作曲リストを参考にしたらという意見もいただきましたが、
それだけは堪忍してください(笑)と丁寧におことわりしました。

だって、リストを急速に充実させるより、「初演をした見た聞いた」というファンの
皆様の声でこのページをじっくり運営して行きたかったんだもん。

おかげさまで、ファンの皆様からひとつひとつだんだんと情報をいただき、
積み重なるようにして、リストが充実したこと、管理人無常の喜びでした。
投稿いただきました皆様に、格別に感謝しております。ありがとうございました。


思いつくままに、その14(後藤秀児さんとの出会い)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 4日(水)18時37分0秒

最初、私は、藤掛先生のことは、マンドリン関係しか知りませんでした。
そこに、突然と後藤さんは現れました。
古くからの藤掛作品と藤掛先生大好きという熱烈なファンの方で、マンドリン以外の
情報を山のように持っておられました。まさに「お宝」情報でした。

このお宝は、
必見!Who's Hiro Fujikake
というこのHPのメインコンテンツになっていますので、ご存知の方も多いと思います。

このコーナーは、後藤さんのお陰で、画像がふんだんに使われ、藤掛先生の輝かしい
足跡が年表風に綴られております。
私は、こまかい文章よりも画像が大好きなので、このコーナーは、特に「美しさ」と
「わかりやすく」をテーマに、HP作成の未熟な私の最大限の力を使って作成しました。
もちろんいたらないところは多いのですが、多くの時間を割きました。

そして、藤掛先生のマンドリン以外の世界的な活躍にほんとうに驚きました。
私の狭い視野を、広げてくださった後藤さんに、言葉に表せないほど感謝しております。
後藤さん、これからもどうぞこのHPをよろしくお願いします。

またこのコーナーには、後藤さん以外に、透明人間さん、Kunicaさん、IZZYさん、
庄山さん、金さんから情報をいただきました。誠にありがとうございました。


思いつくままに、その15(高校生)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 9日(月)06時57分34秒

オープン以来、この掲示板に、多くの高校生の書き込みがありました。
高校生といえば、当時うちの息子と同じ世代で、そんなお若い方とやりとりしていたのは、
私にとって、不思議な感じがしたし、面白くもあり、結構刺激でした(笑)。

とくに1番最初のお客様、ずぃまさんと、2番目の、あんまいさんが、ユーモアあふれる
カキコで、とても楽しかったです。
今はどうしているのでしょう・・・?
きっと素晴らしい若者になっていることと思います(^^)

多くの方が書いてくれたのは、前橋女子高校さんと姫路西さんと松阪商業さん。
あと、人吉高校さん、千葉女子高校さん、千葉東高校さん、坂戸高校さん、熊谷女子高校さんなどなど。
高校生のみなさま、OBOGの皆様、どうぞこのページをこれからもよろしくお願いします。


思いつくままに、その16(オフ会)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 9日(月)07時23分5秒

このページをやっていて、ほんとによかったなあと思ったことのひとつに、なんたってオフ会!(^^)。
掲示板でやりとりしていた方と実際にあってお話する、不思議と初めて会った感じがしないんです(笑)。
場所も、東京、富山、大阪、岐阜、静岡と合計で10数回!

参加してくださった方は、
藤掛先生、奥様、
岩井さん・青猫さん・千葉さん・西海さん・小部さん・杉本さん・
IZZYさんとお嬢さん・Rhythmさん・後藤さん夫婦・白木さん・
幅田さん・ヤチさん・FUMINさん・KEMさん・佐々木さん・
ずぃまさん・くらもちさん・透明人間さん・m_tenoriさん

本当に楽しかったなあ。


思いつくままに、その17(千葉さん)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 9日(月)07時36分32秒

千葉さん
東京でのオフ会では、いつも幹事をやっていただきまして、誠にありがとうございました。
そして、このHPの管理人もやっていただきました。
あの時は、家業のメインバンクの破綻というアクシデントが発生し、先行き不安で落ち着きを
なくしていました。本当に助かりました。
また、昨年12月1日には、急にお呼びたてをして、一方的に私の話を聞いてくださり、
終電もなくなってしまい、大迷惑をおかけしましたが、私は、とても気がやすまりました。

千葉さんには私が困った時に、いつも助けていただき、
感謝の言葉もどうやって書けばいいのかわからないほど、感謝しております。
ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。


思いつくままに、その18(マンドリン以外の藤掛ワールド)  投稿者: 管理人  投稿日: 1月 9日(月)08時00分16秒

私はこのページをやって、初めて、マンドリン以外の藤掛作品を知りました。

オペラ「紙すきの歌」!
交響曲「出雲」!
そして、ソロオーケストラ!

CDで聞いてももちろん素晴らしいのですが、とりわけ生演奏には、ものすごく感動しました。
まったくブラボーで、遠くまで出かけていって、ほんとよかったです。

IZZYさんのお陰で、私の行けなかった、ほんとに多くのコンサートを教えていただき、
嬉しかったです。そしてとてもうらやましく思っておりました。
また、藤掛先生の精力的な活動、活躍にほんと驚かされました。

マンドリン作品に惚れて、そして、それ以外の作品にふれ、ますます、惚れました。
ぜひ、皆様も、ソロオーケストラやオペラなどチャンスがある時は、ぜひお出かけください。
生の躍動感あふれる、そしてこれぞ音楽の醍醐味という、素晴らしさ・感動!
きっと満足していただけると思います。

ぜひ、コンサートへ! おすすめです。


お礼とお知らせ  投稿者: 成瀬賢次  投稿日: 1月 9日(月)08時54分2秒

いろいろながながと書き込みしてしまい、大変失礼いたしました。

この度、一身上の都合で、管理人を引退することにしました。

このページは個人的に始めたものなのですが、私の記事はほんの少ししかなく、
ほとんどが多くのファンの皆様から寄せられたものです。
そのページを私の都合で閉鎖することは絶対できないと思いました。

この後のことを、IZZYさんにお願いしました。

私の苦衷を知って、引き受けてくださったこと、心より心より感謝しております。
IZZYさんは、このHPへ皆様もご存知のとおり、多くの情報、書き込みをして頂いております。
また、何べんもお会いしお話するにつれ、とても魅力ある方で、後をお願いするのは
この方しかないと思いました。


ここで、出会いました、多くの皆様、今まで誠にありがとうございました。

ここの掲示板は、一度も管理人権限で削除したことがありません。

いかに皆様に大事にしていただいたことの現われだと思います。
私は管理人としてはもう戻ってきませんが、これからも一ファンとして、書き込みさせてもらいたいと思います。
どうぞこれからもよろしくお願いします。

藤掛先生
私は先生と出会えてとても幸せです。沢山の感動をいただきました。
そして、こんな私に気をかけて頂き、言葉で言い表せないほどの感謝をしております。
ありがとうございました。
これからも益々のご活躍をお祈りしております。

桧垣さま
私は今年も母校の演奏会に出ようと思っていますが、そんな気になったのも、実は
桧垣さまの存在でした。音信を出さない私をいつも温かく応援していただきまして、
誠にありがとうございました。


それでは、皆様、これからも、このファンのページをぜひよろしくお願いします。
そして、新管理人IZZYさんへの応援をどうぞよろしくお願いします。

長い間どうもありがとうございました。



ごあいさつ  投稿者: IZZY  投稿日: 1月 9日(月)11時02分57秒

下の成瀬さんの書き込みにありますように、このたびファンのページの管理人を
引き継がせていただくことになりました。

以前メイスさん(ゴールウェイさんとの共作アルバムのプロデューサー)に、
彼の友人・山下和仁さん(ギタリスト)の英語のHPを作ってくれる気はないですかと
たずねられたときには、愛がないからむずかしいとお返事しちゃったのですが、
成瀬さんからこのHPを引き継いでもらえないかと打診があったときには、
ためらうことなくOKしてしまいました。なんといっても、藤掛さんの曲に対しては
ありあまるほどの愛がありましたから。

でも、成瀬さんは『グランド・シャコンヌ』を初演指揮されたという輝かしい実績があり、
そのうえ、藤掛さんからすばらしい管理人さんだというお墨付きをいただいてらっしゃる方です。
さらに、年末から今朝にかけて連載された一連の思い出の記を読ませていただくうちに、
ほんとうに私でよかったのかしらという思いがつのるばかりです。

けれど、ファンのページとこの掲示板が閉鎖されてほしくないという気持は、
成瀬さんに劣らず私にも強くあり、それゆえできるかぎり維持していこうと思っています。
私には、おととしに立ち上げた、やはり藤掛さんに関するサイトがありますが、
あちらは、そもそもの最初から、ファンのページとは重複しない内容になるように気をつけ、
住み分けを意図してきました。今後もそのようにして、両方を続けていくつもりです。

成瀬さんが管理人を引退されると知って、がっかりされる方がおおぜいおられることでしょうが、
これからも引き続きファンのページをよろしくお引き立てください。
そして、掲示板にも気軽に書き込みくださるようお願いいたします。
もちろん成瀬さんの書き込みは、どなたのにも増して楽しみにしております。

なお、私は今後もここへの書き込みは「管理人」という名ではなく「IZZY」という名でするつもりです。
自分の他のHPの掲示板ではずっとそうしてきましたので。
ですから、みなさんもこれまでどおり「IZZYさん」と呼んでくださっても、
あるいは他の呼び方でも一向にさしつかえありません。

それでは、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
成瀬さん、すばらしいサイトを立ち上げ、ここまでにされたこと、心からたたえたいと思います。
そして、おつかれさまでした。



IZZYさん

2006年より2020年まで、長きにわたり管理人ご苦労様でした。
掲示板全盛時代から、時代は進みSNSが主流になり、あふれんばかりの情報が、今は簡単に手に入るようになりました。
(私が始めた時は、「藤掛さんって今も生きてるんだ!」というメッセージをもらったくらいでした。)
1999年から20年!すごいなあと思います。
そんな時代の流れの中で「藤掛ファンのページ」は役割を終えたと思います。
本当に本当にありがとうございました。

2020年3月 成瀬賢次




戻る