ヨーロッパ 一人旅(1980年7月15日〜8月15日)

大学3年の夏、1ヶ月間、ヨーロッパへきままな一人旅に行ってきました。


『ダイヤモンドスチューデントツアー』という海外旅行企画を利用して行って来ました。
このツアーは、行き帰りの飛行機を団体割引で利用しようという趣旨なので、ロンドン到着後の2泊ホテルが予約されてる他は、その後1ヶ月後のフランクフルトのホテルへ集合まで、まったくの自由旅行です。

この1ヶ月の旅行は、今よりうんと海外が遠く感じるころのちょっとした冒険であり、なんでも自分で判断しなければならず、自分への挑戦でもありました。そして、バックパッキングを担いでの貧乏旅行でした。


その時の私の撮影した写真と思い出です。by 成瀬賢次(2007年9月)
文章は当時の日記からひっぱってきました。

青線夫婦イタリア旅行(2007年)     黒数字:ホテル又はユースホステル泊
緑線夫婦パリ旅行(2011年)      赤数字:列車移動の車中泊     

7月15日 成田発

さあ、生れて初めての飛行機&海外旅行!この旅行のため2年間バイトでお金をためた。この旅行は浪人中からの夢でした。
南回りで28時間! 飛行機はPAN AM 窓側の席でラッキー!
寄港地(香港・ニューデリー・バンアレイン・フランクフルト)
香港:高層ビルと高層ビルの間を抜けて降りる飛行場、迫力あります。ニューデリー:夜でしたが給油のため3時間エアコンの止まった機内での待機。背中にびっしょりの汗。飛びだった時の下の世界、電気はなく焚火の海。日本とは違う景色に恐怖に近い感情! 中東の待合ではSONYとCANONの看板が目につきます。
<飛行機泊>
7月16日(水) イギリス ロンドン

  
   ▲国会議事堂、テムズ川

   
  左、ウエストミンスター寺院。

  右、ビッグベン。夜9時半というのにまだ明るい!
  この撮影はアメリカ人の親子から三脚を借りて撮りました。
やっと着きましたロンドン。緊張の入国審査は「How long do you stay England?」だけでした。すかさず「about one week」と用意していた答えですみました。ほっ。

到着後オリエンテーションをうけて、夕刻よりいよいよフリータイム!まずは、ピカデリーサーカスへ

    

真夏なのに半袖は私だけ!寒かった。セーター着ているイギリス人も多い。初の現地の人との接触はトルコの男の人。中国人にまちがえられる。その後食堂に案内してもらいました。ビッグベンからの帰りは道に迷い、おじさんに聞いたところ「ついてこい」といわれ全然ちがうところに・・・LとRの発音がまちがっていたようです。無理ないなあと。でもみんなとても旅人に親切です。

<ロンドン/ダイヤモンドスチューデントツアーが2泊だけ用意してくれたホテル。小井戸氏と同室>
7月17日(木) ロンドン


▲バッキンガム宮殿、衛兵の交代。たくさんの見物客でびっくり。


▲セントポール寺院内部  ▲ロンドンブリッジとテムズ川
1日市内観光。
この日は、同じツアーの4人(清川さん・岩瀬氏・段上氏・高橋氏)で一緒に回った。みな一人旅の不安をかかえなんとなくキズナみたいなものが芽生える(笑)
セントポール寺院は大きくてとてもびっくり。

      

上の写真はトラファルガー広場。迷わないようにベルトのところに方向磁石をつけている。
2012年8月ロンドンオリンピックを見ていて、この写真はトラファルガー広場ではなく、「クイーン・ヴィクトリア・メモリアル」前の記念撮影とまちがいに気づきました(^^ゞ

<ロンドン/同上、小井戸氏>
7月18日(金) ロンドン


▲ウインザー城

 
▲天気が悪くて残念       ▲大英博物館
朝、旅行主催者より、「1ヵ月後の8月13日に、無事にフランクフルトのホテルでお会いしましょう。それでは、皆さんお元気で〜〜〜」と挨拶がありました・・・。不安とやる気が交錯します。

本日より自力で宿の予約をする。まだ単独は怖いので同じツアーの三谷くんと行動する。下のホテルが無事とれました。宿代を少しでも安く上げるためツインの部屋を。

      

三谷くんと一緒に、鉄道に乗りロンドン郊外のウインザー城へ。天気がこの日もどんよりしている。雨も降ってくる。雨具を持ってこなかったのは失敗でした。

その後一人で大英博物館へ。あまりの広さに見たかったロゼッタストーンを見落とす(T_T) 。

ロンドン雑感
2階建てバスや地下鉄に乗り、心配された英会話もなんとかなり?、一人旅の自信が少しついた。まだ外人を見慣れぬせいか、みんな美男美女にみえる。とても親切でやはりジェントルマンの国であった。物価が高いことと、想像以上に寒く天気も悪くかぜをひいてしまった。異国での病気はとてもこころ細い。

<ロンドン/the Sutherland、三谷氏>
7月19日(土) ロンドン 夜行でドーバー海峡渡る

     
     ▲ロンドン〜HARWICHの汽車で同席した
      ジェファニーさん



『地球の歩き方』推薦の日本土産
折り紙、日本手ぬぐい、割り箸、落とし玉記念切手、5円玉
さあいよいよほんとの一人旅。市内観光後、ドーバー海峡を渡って、オランダを目指す。寒さと雨の為体調が悪く、汽車の時間まで間があるので、セントポール寺院で休憩しながら絵葉書を書いて時間をつぶす。どでかいパイプオルガンに圧倒される。

<ピンチその1&感謝>『お金がないけどおなかすいた』
このころはユーロでないので、イギリスはポンド、フランスはフラン等すべて国それぞれの通貨。トラベラーズチェックで両替するのだが、お金を余らしてとなりの国に持って行くとそれを両替するので、目減りしていく。その為上手にやりくりしなければならない。まだ旅はスタートしたばかりで迂闊にも、ロンドンでほとんどお金を使いきって無一文同様でオランダを目指すことに。港までの汽車の中でおなかすかしていると、左写真のジェファニーさんがサンドイッチとコーヒーをおごってくれた。すごくうれしかった。感謝!印刷屋さんだそうだ。お礼に日本手ぬぐいをプレゼント。『地球の歩き方』推薦の日本土産だ。のちに神戸の下宿に日本語版の聖書が送られてきて、とてもびっくり。
また、ドーバー海峡を渡る夜行の船の中でも、夜食を見知らぬ外人におごってもらう。なんてやさしいんだ!

<ドーバー船中泊>寝袋が役に立つ。
7月20日(日)オランダ アムステルダム


▲運河観光。右側2人目の後ろを向いているのが恩人の片岡さん

      
      運河と跳ね上げ橋。自転車の街。
いよいよ大陸。HOEK VAN HOLLANDへ着く
アムステルダム市内観光。

<ピンチその2>『言葉まったくわからず』
入国審査、いろいろ質問されるがさっぱりわからない。英語も弱いがそれ以外もまったく駄目の私。何語をしゃべってるかもさっぱりわからない。「パードン?」を繰り返すうちあきらめてくれたようで通してくれた。よかった。ほっ。

<ピンチその3&感謝>『風邪ひいたけど薬がない』
風邪でかなり体調悪い。正露丸は持ってきたが夏に風邪ひくとは思いもせず風邪薬を持っていない。入国審査の時会った、阪大院生の片岡さんが風邪薬をくれた。一緒にユースホステルも無事とれ、市内観光そこそこに宿で休んだ。この薬のお陰で体調回復し本当にありがたかった。感謝!

      
       ▲ユースホステル会員証

<アムステルダム/ユースホステル、片岡さん>
7月21日(月) 午前:アムステルダム 
        午後:ベルギー ブリュッセルへ


▲アムス1の商店街カルファー通り▲アンネフランクの家と入場券

 
▲アムステルダムの王宮   ▲アムステルダムの町並
アムステルダム市内観光。
アンネフランクの家、王宮他。体調全快ではないので、風車見学を断念。愛犬家が多く(とてもよくしつけられている)町並みもきれいで、運河の街。
飾り窓地区の観光では、ヨーロッパの団体さんが旗を持ったガイドさんの後をぞろぞろと。当時、団体旅行は日本人の専売特許との批判がありましたが、あちらの人もしててちょっと笑えました。

午後はいよいよ、ユーレイルパスを利用してベルギーの首都ブリュッセルへ。

ヨーロッパ内の移動は、すべて鉄道。
21日間有効の乗り放題ユーレイルパスとトーマスクックの時刻表を駆使して移動。
   
   ▲ユーレイルパスとトーマスクックの時刻表

ブリュッセルでは、ユースが住所変更していて探すに苦労しました。スペイン系の女性が一緒に探しくれる。親切です。トロリーバスで運賃の支払方法がわからず、ただで乗ってしまう。

<ブリュッセル/ユースホステル、辻本氏>
7月22日(火) 午前:ブリュッセル 午後:パリへ移動


▲ブリュッセル グランパレス(広場)

      
     ▲サンミッシェル教会のステンドグラス
ブリュッセル市内観光。
ヨーロッパへ来て初めての天気:晴れ。光あふれる中、風邪もどうやらなおり、とても陽気になってくる。グランパレス、元祖小便小僧、独立記念碑、EC?本部、サンミッシェル教会など見学。とくに教会のステンドグラスにはとても感動した。ヨーロッパにきたんだなあとしみじみ思う。つたない英語がますます通じにくくなる。


午後はいよいよあこがれのパリへ。
その汽車で同席したおばさんが、たぶん「パリに行くならここへとまんなさい」といってメモと住所を書いてくれた。とても親切だ。しかし、まったく読めない上、住所だけでたどり着けるか不安になって、パリのインフォメーションで知り合った藤田・山中の阪大コンビとぼろぼろの安ホテルに泊まる。おばさんごめんなさいm(_ _)m。

     
  
▲パリ行きの汽車で(宿の紹介文らしい) ▲元祖小便小僧

しかしこのホテルほんとぼろぼろ。ベッドの上に寝袋をひいて寝たくらいです(T_T)。

<パリ/なしなしのボロホテル、藤田・山中氏>
7月23日(水) フランス パリ


▲凱旋門
 
▲凱旋門の上から        ▲コンコルド広場

 
▲チュイルリー庭園       ▲カルーゼル凱旋門

 
▲印象派美術館 ゴッホの「自画像」と「アルルのゴッホの寝室」



▲モンマルトルの丘にたつサクレクール寺院
パリ市内観光。
凱旋門→シャンゼリゼ大通り→コンコルド広場→チュイルリー庭園→印象派美術館→ルーブル美術館→サクレクール寺院

凱旋門上に登るのに9フランだったのが、学生証をみせたら半額に!(250円位)
   学生証

凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩き、ルーブル美術館まで一直線。結構な距離です。

ルーブル美術館雑感
とにかく広い。疲れました。絵画、彫刻等があまりにたくさんあるため、最初は感動的でしたが、教養が足りないせいか、だんだん無感覚になりちょっとくたびれちゃいました。見たかったミレーの「落ち穂拾い」を一生懸命捜したのですが、日本に貸し出し中とか。がっかり。モナリザだけは厳重警備でしたが、その他は手で触れるような近くにあり、写真撮影もフラッシュなしなら自由でした。日本とはちがうなあと思いました。また大英博物館でもそうでしたが、日本でお馴染みの順路→がないので、自由に回れる分、初心者にはつらかったです。ミレーの「晩鐘」にとても感動しました。
      


▲ミロのビーナス ▲ドラクロワ「民衆を率いる自由の女神」

モンマルトルの丘周辺では、若者が一杯集まって踊ったり歌ったりお祭り騒ぎでした。ふもとの歓楽街では、でんでん太鼓を持った黒人さんに「ちょっと待って、そこのお兄さん。5フランぽっち見るだけ」と日本語で呼び込みされる。もちろん行きません(笑)

<注目をあびた!その1>
パリにもゲームセンターがありました。覗いてみると当時私の大得意だったスペースインベーダーが!本日のハイスコアをみるとすごく低い。やってると後ろに外人が集まりだし、ワザを出すたびに歓声があがる。終わった時、後ろの外人が「ブラボー!」と言って肩をたたいて祝福してくれた。なんかうれしい(笑)。


<パリ/同上ボロホテル>
7月24日(木) パリ


▲アンバリッド(中にナポレオンのお墓があります)とエッフェル塔

パリ市内観光
午前中:スペインマドリッド行きの汽車予約で半日つぶれる。結局予約とれず。ノートルダム寺院の見学断念。残念。
午後:アンバリッド、エッフェル塔


<パリ/同上ボロホテル>






2011年5月18〜25日、夫婦でパリ&モンサンミッシェルへ行ってきました。学生のころの記憶がところどころ残っていて、とてもなつかしかったです。

    夫婦パリ旅行記はぜひこちらをご覧下さい。
7月25日(金) 午前:ヴェルサイユ宮殿観光
        夕刻より:夜行でスペイン マドリッドへ


▲ヴェルサイユ宮殿


▲ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」▲かすんでる先まで庭です

ヴェルサイユ宮殿
パリのインバリッド駅から列車に乗ったのですが、ユーレイルパス使えるのを知らずに、切符を買ってしまいました。このパスは、各国間の移動だけでなく、かなりの交通機関を網羅しているようです。ヴェルサイユ宮殿は、とても広く半日では全然回れませんでした。

パリAusterlitz駅18:02発マドリッドPuerta Del Sol 行きに乗る


<ピンチその4&感謝>『スペイン断念か?』
マドリッド行きの汽車の予約、大変苦労しました。予約の列に並び(これがなかなか進まない!)やっと番が回ってくると、フランス語で、わけもわからず追い返される。また列に並んで延々と待つ。また窓口で「コンプリート」と追い返される。3時間位かかってやっと予約一杯と理解する。考えてみたら私は日曜日の闘牛が見たくて金曜の夜行に乗りたかったのですが、夏の観光シーズンに金曜の夜といえば日本のお盆事情と一緒!世間知らずでした。ほかに行く方法がないかと尋ねると「ノン」という。一番行きたかった旅のメインのスペインにいけないのかと真っ青になった。ダイヤモンドスチューデントツアーの緊急連絡センターへ行って相談したら、「とにかく列車に乗ってしまえ」ということだった。駅に時間よりかなり早く着いて一番に乗り込む。そうしたら車掌さんが、予約のないのを見てMUTILEというノンリザーブの席に連れてってくれた。なんと座れた!スペインに行ける!嬉しかった。感謝。感謝。
その列車でちょうど私と同じ予約なしの若い日本女性(小林晴美さん)と一緒になり隣同士で座る。なんとおむすびと玉子焼きのお弁当を持っていて、わけてくれた。お米は久しぶりでほんとおいしかった。感謝。残念ながらロマンスは生まれませんでした(^ ^;)ゞ。


<夜行車中泊、小林晴美さん>
7月26日(土) スペイン マドリッド

    
      ▲街でもらった闘牛のチラシ
午前9:30マドリッド着。15時間かかりました。とうとうフラメンコと闘牛と太陽の国あこがれのスペインに着きました。列車がとれず一時は断念かと思われただけに感激もひとしお\(^-^)/ 。
駅で出会った杉浦さんと一緒のホテルをとる。夕方までぐっすり寝て休養日にする。夜マイヨール広場で飲んだサングリア最高!杉浦さんとすっかり意気投合し、きれいに酔っ払う。スペイン語のギターの弾き語りにどきどきする。ああ、とうとう来たんだスペイン!


なぜにスペイン?
私は、高校・大学とマンドリンクラブでクラシックギターを弾いてました。独奏曲はスペインの曲ばかり。あこがれのアルハンブラ宮殿を見たい!この思いが一番強く、旅行先はヨーロッパ・スペインに決めたのです。
 
    ▲神戸大学マンドリンクラブ 東京演奏会(1981.4.4)

<マドリッド/安ホテル、杉浦さん>
7月27日(日) マドリッド


▲すごい人のにぎわい「のみの市」
 
▲闘牛場            ▲右文章の2
 
▲右文章の4          ▲右文章の5


▲フラメンコ 素敵でした。
最高に充実した1日!
のみの市、闘牛、フラメンコ!

生まれて初めてみる闘牛!
闘牛場がどこにあるかわからない。頭に両手の指を立て牛のかっこして聞く。みんな集まって笑いながら教えてくれた。言葉がわからなくてもなんとかなるもんだ(^^)。

    
▲チケット。どうもダフ屋から高く買ってしまったようです(T_T)。

闘牛はこんなかんじです。
1.安っぽいファンファーレが鳴り響く。
2.マタドールが元気な牛相手にワザをみせる。スリリング。
3.馬に乗ったピカドールが背に槍を刺す。興奮する牛。
4.バンデリリェーロが突進してくる牛の背にもりを2本打ちこむ。
5.花形闘牛士がもりを打たれて血だらけの牛に技をみせる。オーレ!オーレ!の掛け声の中、会場が興奮の渦につつまれ、サーベルでとどめを刺す。
6.絶命して倒れた牛は、3頭の馬に曳かれて退場。
それが6頭続きました。最初はとっても牛がかわいそうで(T_T)見るに絶えなかったのですが、だんだんショーと割り切って見ることができました。


感動のフラメンコ!
杉浦さんほか計5人の日本人で見に行きました。やはり夜、店に入るのはみな怖く、広場で声をかけたらすぐ人数集まりました。
フラメンコはギター、歌、手拍子、踊り、カスタネットなどで構成されています。熱狂的な踊りとリズムでとても素晴らしかったです。ワンドリンクで午後10時から午前3時まで見ていました。とても印象深かったです。

<マドリッド/同ホテル、杉浦さん>
7月28日(月) 列車に乗り間違え大失敗!

    
    ▲あわてて降りた街 RERMA。
     何もありません・・・
<ピンチその5>『ここはどこ?』
杉浦さんとセゴビアへ行こうとするが、3時間乗っても着かないのであわてだしたらどうやらこの列車はフランス行き。列車に乗りまちがえて大失敗!2度も駅員に確認したのに・・・。
あわてておりたのが左の写真の街、RERMA。なにもない町。ああ・・・1日の損(T_T)。むなしくマドリに帰る。

杉浦さんは夜行でグラナダへ旅立ち、お別れです。一人で連泊。

<マドリッド/同ホテル>

<この失敗がのちの危険から免れる!>
スペイン滞在日数が1日のびた結果、事故にまきこまれずにすみました。8月2日にイタリアのボローニャで爆発(テロ)があり、早大の学生巻き込まれて死亡。家族にはこの日にボローニャ通過でローマ着計画だったので、心配をかける。このことを知ったのはずっと後からだったのですが・・・。
7月29日(火) セゴビア 夜行でグラナダへ


▲ローマ水道橋 車と比べるとその大きさがわかります。


▲アルカサルと入場券


▲セゴビア市展望
セゴビア市内観光
ローマ水道橋、アルカサル(白雪姫のお城のモデル)、カテドラル(大聖堂)

昨日失敗したので意地になって再挑戦。ローマ水道橋の大きさにびっくり!

マドリッドより一路グラナダへ(スペイン列車事情)
スペインの列車は全席予約で、非常に面倒。Rの窓口で30分から1時間位待って、メモ(右上写真)に、日・時刻・行き先などを記入して見せる。満員だと「コンプリース」といわれ空席があれば予約券(左上写真)をくれる。ヨーロッパの列車は1stと2ndクラスと明確にわけられ、たいていコンパートメントである。この日は2ndしか空いてませんでした。乗り込んでみると、おもろい酒井さんと、スペインの5人家族とイタリア娘で8席埋まる。


<注目をあびた!その2>
なんとスペインの家族がギターを持っていました。そのギターを借りてコンパートメントの中でミニ演奏会。「禁じられた遊び」「アラビア風奇想曲」「アストリアス」などが大うけ( ̄^ ̄)。折り紙でつるを折ったり教えたりとても楽しかった。


<夜行車中泊、酒井さん>
7月30日(水) グラナダ アルハンブラ宮殿見学

   
    ▲ヘネラリッフェ(王の夏の別荘)内アセキアのパティオ 
     この噴水が「アルハンブラ宮殿の思い出」のトレモロのモチーフになったとのこと

 
▲パルタルの庭
 
▲ライオンのパティオ                ▲アルハンブラ宮殿から見るアルバイシンとサクロモンテの丘

▲アルカサバ内 ベラの塔

▲アラセヌスのパティオとコマレスの塔

 ▲王の間
アルハンブラ宮殿最高!
これが一番見たくて今回の旅行計画しました。はるばる来た甲斐ありました。もう一度行きたい!
  <グラナダ/安ホテル、酒井さん> 
7月31日(木) 12:55グラナダ発→バルセロナをめざす

▲ひまわり畑
24時間!まる1日かけてバルセロナへ。
暑い、つらい、長い。


<夜行車中泊、酒井さん、池上氏>
8月1日(金) 12:50バルセロナ着 夜行でニースへ


▲聖家族教会(ガウディ作)真下から見上げてとった写真。

 
まだ建設中とのことですが、この写真は1980年。現在はこれよりだいぶ工事が進んだのでしょうか?
バルセロナ市内半日観光
夜行で着いて、半日観光したら、また夜行でニースへ向かう。かなり強行軍。
駅で知り合った石原くんと聖家族教会見学に。写真ではわかりませんがとても大きなかわった建物です。

<ピンチその6&感謝>『恐怖のパエジャ』
汽車の待ち時間に、スペイン名物パエジャをどうしても食べたくなり、石原くんに荷物をみてもらい、食べに行く。店をえらぶ時間がないため、私のような貧乏旅行者が絶対はいってはいけないという、布のテーブルクロスの店へ。なんと650P(2000円)!ドライカレーみたいなべチョべチョのごはんに大きなエビが4匹にムール貝がどっさり。ナイフとフォークでエビをどうやってむくのか?ぐちゃぐちゃになりながら悪戦苦闘。量が多いので無理してたべたけど途中で断念。急にお腹が痛くなってきてトイレへ。気がつけば列車の時間が・・・。へろへろになって駅のホームへ戻る。ぎりぎり間に合った。待っててくれた石原くんは気が気でなかったとのこと。このまま僕がいなくなったら彼はどうなっただろう・・・なんて思ったらしい。今日会った彼にたっぷりあまえてしまった私。感謝!


思い出多き国、スペイン!
入国から苦労し、滞在日数が一番多い7日間いたこともあり、いろいろな思い出ができた。闘牛、フラメンコ、アルハンブラ宮殿の素晴らしかったこと。列車に乗り間違えて1日つぶしたこと、コンパートメントでのミニ演奏会などなど。観光も最高だったけどなんといっても、スペインで一緒に行動した人はみな素晴らしい人でとても楽しく頼もしかった。またいつか会いたいなあ。真夏の暑い夜にマイヨール広場で飲んだ果実のぶつ切りの入った冷たいお酒サングリア、最高においしかった!本当にきて良かった。でも、不思議なことに、スペイン出国手続きの時、「やっと脱出できた」と思ったのはなぜ?

<夜行車中泊、石原氏、フランス国境より水野氏>
8月2日(土) フランス ニース

海ではカメラなどの貴重品を持っていかなかったので、残念ながら写真はありません。





バックパッキング旅行
重さ13kgでした。かなりの重さで長い時間かついでいられません。宿にチェックインできた時は、宿におろします。そうでない時は、駅の荷物預かりに預けます。(しかしスペインでは、テロの爆弾騒ぎのため荷物預かり所がすべて閉鎖され、とても重たかったです)。荷物は自分一人の自己責任なので、移動中のトイレの時とか、両替の時とかちょっとの時の管理が大変です。
海水浴。ここはトップレスのメッカ! (^o^)へへへ
3人でホテルを予約、1人21F(1000円)で格安に(この水野氏とは5日後にスイスの登山鉄道でまた会ってびっくり)。荷物を見張りながら順番に海水浴に。さすが地中海有数のリゾート地。高級ホテルが立ち並び、すごい人でにぎわっています。それなのに、海は透明で海岸にはゴミなどなく、ただただびっくり!公共心の差でしょうか。夜の海岸は歌あり、大道芸ありのお祭り騒ぎ。夜景は息を呑む美しさです。
残念だったことは、海の水が冷たかったこと、海にカメラを持って行かなかったこと、おばあちゃんのトップレスを見たこと。


<ピンチその7>『寝袋盗まれる!』
ニース銀行で両替中に、バックに付けといた寝袋だけ盗まれる。旅になれてきて油断した。寝袋は結構重宝していたので残念!

<ニース/安ホテル、石原氏、水野氏>
8月3日(日) 10:45ニース発
     16:00イタリア ジェノヴァ着 夜行でローマへ

        コロンブスの像
移動、移動。
乗り換えのジェノヴァで待ち時間を利用して市内観光。コロンブスの像、フェッラーリ広場など

ジェノヴァ、何もない街です。静かです。


ローマ行きの夜行はめちゃ混みで、通路の床に体半分に折って寝ました。

<夜行車中泊>
8月4日(月) ローマ


▲コロッセオ           ▲真実の口
1日ローマ市内観光。よく歩きました。

テルミニ駅→ホテル→コロッセオ→フォロ・ロマーノ→パラティーノの丘→真実の口→エマヌエル2世記念館→ベネチア広場→クィリナーレ広場→ホテル

ペンショーネどこも満員でした。やっと10件目であたった9500L(3000円)で。駅の両替で1時間待たされる。
映画ローマの休日で有名になった「真実の口」。やっぱり一度は手をつっこんでみる。とにかく暑く、切り売りのスイカと噴水の水のおいしかったこと。
<ローマ/ペンショーネ>
8月5日(火) ローマ
       22:15発の夜行でミラノへ


▲サンピエトロ寺院からの壮大なながめ

     
     ▲トレビの泉 コイン投げました。
     言い伝え通り2007年5月に再訪できました(^^)
1日ローマ市内観光。今日もまたよく歩きました。

ホテル→テルミニ駅荷物預け→共和国広場→骸骨寺→バルベリーニ広場→スペイン広場→トレビの泉→パンテオン→ナボーナ広場→サンタンジェロ城→サンピエトロ寺院→バスにてテルミニ駅

暑さと騒音と混雑と噴水と歴史の街だった。ほとんどの道が石畳!スペイン階段は工事中でがっかり。そこでマンドリンのブローチを買う。サン・ピエトロ寺院のばかでかさと、荘厳な雰囲気にのまれる。見たかった「最後の審判」のあるシスティーナ礼拝堂は入館時間に間に合わず残念でした。ローマを1泊2日は強行日程、もっとゆっくり来たいなあ。


<ピンチその8>『お金も荷物もなく野宿か?』
最後の夕ご飯で食べすぎお金が足りなくなり、財布にあるイタリア通貨全部出して(6割位)、手を合わせ拝み倒しまけてもらう(日本人かと聞かれイエスと答えたら許してくれた)。駅に荷物をあずけてあるのを出さなければならない(後払い)のですが、お金がない。急いで両替所に並ぶ(20分)も夜9時になり私の直前で窓口閉まる。が〜ん。泣きついたが両替してくれない。今日の夜行に乗ってスイスへ向かわないと残りの計画が・・・。お金も荷物もなく今晩どうするのか?途方にくれました。夜行で飲む予定だったジュースを思い出し、買った店で払い戻しをしてもらい(言葉通じないのによくできたなあ・・・)、荷物を無事出せました。やっと予定の列車に乗れました。ほっ。

<夜行車中泊>




2007年5月17日〜24日夫婦でイタリア旅行行ってきました。私は2回目、ワイフは初めてのヨーロッパ。学生の時の貧乏旅行とはちがっておいしいイタリア料理をたくさん食べました(^^)。ワイフもコイン投げましたが・・・?
   夫婦イタリア旅行記はぜひこちらをご覧下さい。
8月6日(水) 8:30ミラノ発 ミラノは乗り換えのみ
        スイス インターラーケンへ


▲BRIENZERSEE湖 遊覧船もユーレイルパスで乗れました。
ミラノ〜インターラーケンでのこと。

<ピンチその9>『わけもわからず・・・』
TEEという列車に乗ったのですが、途中で車掌さんが回ってきてこっぴどくおこられる。特急料金か予約料かなにかがいるらしい。昨晩の1件でもとよりイタリア通貨なし。ないものは払えず途中の駅で降ろされた。

暑さのローマから天国のスイスへ
インターラーケンの駅には「ようこそインターラーケンへ」という垂れ幕が、久々の日本語に感動する。その後遊覧船にのって湖観光&滝見学。すずしい。

<ピンチその10>『トイレに閉じ込められる』
滝観光のあと、トイレに入りました。自動ロックらしくなにをどうやっても出られない。どんどん叩いて助けを呼ぶ。外から外人さんが開けてくれお礼を言い、あわてて乗り場に走って行くも目の前を船が出て行ってしまいました。が〜ん。途方にくれましたが次の船(反対周り?)がきて無事戻れました。ユースホステルは長い列が出来ていて、私の後ろで満杯。あぶれた人はどうなったんだろう。今の時間から見つかるのかなあ。危なかった。ふう。


<インターラーケン/ユースホステル>
8月7日(木) ユングラフヨッホ、グリンデルワルト

 
▲登山電車のキップ    ▲ユングラフヨッホ山頂駅より

    
   ▲グリンデルワルト、リフト頂上駅フィルストにて

    
    ▲レストランのテーブルにひいてあった紙
ヨーロッパ旅行後半最大のハイライト!

登山鉄道に乗りインターラーケンからユングラッフヨッホ山頂駅まで。この電車はユーレイルパス不可で、往復なんと1万円!途中アイガーの北壁(下右写真)の中を通り、北壁から外を展望できる。なんかすごい電車だ。この日は、最近珍しく晴れたとのことで、最高の観光日より。ユングラフヨッホは夏だというのに、一面の銀世界。これがアルプスかと感慨に浸る。 左の写真は電車でニース以来再会した水野くんにバックパッキングを借りて記念撮影。こんなかっこで旅行していたなんて今思うとかなりはずかしい(^ ^;)ゞ
 
▲ユングラフヨッホへ向かう電車 ▲アイガーの北壁

午後はグリンデルワルトより、アルプス最長のリフトにのりフィルストへ。このリフトは横向きで2人乗り、アイガー・大氷河を見ながら登る、グーなリフト。帰りは歩いてみようとハイキングコースを下る。これが甘かった。行きのリフト30分を歩いて下るに2時間!だんだん暗くなり、人影も無くなりリフトも停まる。しまいにはまったくの1人!心細かったが、夕闇の高原は、高山植物が咲き乱れ(写真)、聞こえるのは遠くに見える滝の音と、牛のなき声。羊の群れにあったり、別世界に迷い込んだようだ。寂しかったけど心洗われる感じでした。
      

<ピンチその11&感謝>『またもや荷物出しで』
夜8時ころグリンデルワルト駅まで歩き付き、遅い夕ご飯を。チーズフォンデュおいしかった。インターラーケンに帰ると荷物預かりが閉まっている!が〜ん。午後10時までと思っていたら9時までだった。今更宿もとれないしスイスの夜は厳しいし。寝袋はニースで盗まれたし・・・。困り果てていたら残っていた駅員さんが見るに見かねて荷物出してくれた。その時の嬉しかったこと。感謝!
明日ツェルマットでスキーをやろうと思って深夜列車でブリング駅まで移動。その待合室でぐっすり眠る。

<駅待合室にて>
8月8日(金) スイス チューリッヒ
     20:11発の夜行でオーストリア ザルツブルグへ

     
      ▲チューリッヒ湖の前で
朝8時に目が覚めたら外はなんと雨。最初のロンドン以来だ。ツェルマットから帰ってくる人に情報聞いたところ、なだれ注意報も出ていてスキーはきびしいとのこと。スイスアルプスでスキーをすることもこの旅行の大きな目標だったのですが、断念。疲れていたのでそれもよしとして、チューリッヒへ向かう。

チューリッヒで市内観光&おみやげ
今まで荷物になるからとほとんど土産を買っていませんでした。そろそろ旅も終わりに近いので、餞別をくれた友人たちにお土産を。

<夜行車中泊>

8月9日(土) 午前5:20 ザルツブルグ着
       午後 ドイツ ミュンヘンへ移動


▲ザルツブルグの公園で
ザルツブルグ市内観光。

朝着いた駅で洗面しようとして、鏡みて自分の顔にびっくり!目がくぼみほほが落ちて幽霊みたいだ!それもそのはず、最近は強行日程でほとんど車中泊や待合室泊ばかり!
大好きな映画「サウンド・オブ・ミュージック」のツアーに出かけようと思っていましたが、やめました。ちょっと市内観光し、ドイツのミュンヘンまで移動。ユースで休息。栄養をとりぐっすり寝る。

<ミュンヘン/ユースホステル>


旅のガイドブック
ガイドブック9冊持っていきました。それだけでかなりの重量です。移動の列車の中でガイドブックを見て次の観光予定を決めます。そしてその国を出る時、ガイドブックのその国の頁を破り捨てて、少しでも重量を軽くしました。それにしても「地球の歩き方」は最高に素晴らしいガイドブックでした。
8月10日(日) 13:50ミュンヘン発 17:00ヒュッセン着
         夜行でフランクフルトへ
午前中休養。
ヒュッセンのノイシュバインシュタイン城見学。
時間がなかったのでお城まで入れず、下のほうから見ただけでむなしく帰る。今日がユーレイルパス有効期限の最終日。夜行でフランクフルトをめざす。11日2:03着予定でしたが・・・。
<夜行車中泊>
8月11日(月) マインツ〜コブレンツ ライン川下り
         午後フランクフルトへ移動

▲ライン下りとチケット
 
▲ローレライの谷
ライン下り
フランクフルトを寝過ごしてしまい?に着く。もうユーレイルは効かないし、あわてる。フランクフルトへ戻るのやめにしてマインツへ。ライン川下りを目指す。なんとかタダでマインツまで行き、待合室で眠る。そこで日本人女性2人組に会い、高くてめげそうだったライン川下りに行くことに。
なんとマインツ〜コブレンツ54DM(7000円)!ユーレイルならタダなのでとても損した感じ。びびったが話のネタに乗る。ひなたぼっこしながらのんびりする。結構楽しめました。


半日かけた川下りもコブレンツで終わり。そこで同じツアーの東京3人組に会い、一緒にフランクフルトをめざす。
フランクフルトの大きなユースで同じ出発ツアーの三谷氏、清川さんと感激の再会。無事を喜び合う。ザクセンハウゼンへビールを飲みに。カラシソースで食べるソーセージと生ビールの美味さときたら、最高(∩.∩)。それと大ジョッキの大きさにびっくり。片手で持てない!

<フランクフルト/ユースホステル>
8月12日(火) フランクフルト フランクフルト市内観光
ゲーテの家、映画鑑賞。ベンツのタクシーに乗ってはしゃぐ。
<フランクフルト/ユースホステル>
8月13日(水) フランクフルト
集合のHolidayInn‐cityTowerホテルへ。ツアーで知り合った仲間が続々と集まってきて無事の再会を喜び合う。そして旅のつもる話を交換しあう。
<フランクフルト/ホテル、小井戸氏>
8月14日(木) 思い出多きヨーロッパを後にして、一路日本へ
      
ヨーロッパ最後の朝食をとって、ホテルからバスでフランクフルト空港へ。免税店でジョニ黒やナポレオン(当時洋酒が最高のお土産)、シャネルの香水などお土産を買う。

左写真:出発前のホテル前で。この内の2人には、スペインの闘牛場とバルセロナでと2回会いました。


バックパッキングを貸してくれたマンドリンクラブの先輩の太田さん、まことにありがとうございました。

<飛行機泊>
8月15日(金) 成田着 懐かしの日本へ無事帰国。空港におりた瞬間汗がぶわっとふきだす。日本の湿気を実感。飛行機が遅れたため、新幹線間に合わず。夜行で静岡へ。駅前通過2時間後、あの静岡駅前ガス大爆発事件!
<我が家でゆっくり (_ _)Zzz >

ヨーロッパ一人旅を終えて
当時の日記より

行動・・・行った国、イギリス・オランダ・ベルギー・フランス・スペイン・イタリア・スイス・オーストリア・西ドイツ(当時)の全9ケ国。

費用・・・飛行機代ユーレイルパス等旅行社に払った費用329,000円。1ヶ月の滞在中現地で使ったお金、162,000円。(1日あたりなんと5400円!)。全部で59万円の費用でした。当時神戸の下宿が4畳半で15,000円、家庭教師アルバイトが週1回2時間で10,000円/月、牛丼吉野屋の時給が580円位、喫茶店のコーヒーが280円位だったと記憶している。

言葉・・・英会話はにがてだったが、もとより英語圏外。人の呼びかけと、ありがとうだけ現地語を覚え、あとは、勇気と笑顔と大きな声、表情、演技力で勝負!大事なことは、わからない時にわかったふりをしないことすると親切な人が連れてってくれたり、メモを書いてくれたりする。なんとかなるもんだ。

宿・・・その場その場で探した。ホテル13泊、ユース6泊、夜行8泊、待合室1泊。そこで知り合った日本人と割安にするため、相部屋にしたので、1人で泊まったのは10泊だけでした。

反省・・・欲張って回ったため、ハードで移動が多すぎました。写真は景色・建物等ばかり撮ったので、もっと、出会った人達や食事等を撮れば良かった。(今より写真代は40円位と高く、撮った300枚の現像・フィルム代で下宿1ヶ月分に相当する!となれば、写真の節約も或る程度いたしかたなかったのだけれども)

大事な持ち物・・・パスポート、トラベラーズチェック、「地球の歩き方」、方向磁石。

この旅行でもっとも大切だったこと・・・バイタリティ、体力、方向感覚、“なるようになるさ”と“なんとかせねば”を使いわけること。



このツアーは、多くの日本人と接しました。それは、ホテルの部屋をシングルで借りるよりツインで借りた方が安上がりであり、一人で回っているため、日本語の生きた情報をお互い得たいためでもありました。そして、同じように一人で回っている者は、両替所や税関、駅のキップ売り場、ユースホステルと行動パターンが同じで、同じ左回りしたものは、出会い・別れそして再会、助け合いと絆が生まれる。
その時の知り合った友が偶然このHPをみて連絡もらえたりすれば、最高にエキサイティングなのだけど・・・

ロンドンで同室(小井戸氏)、同じツアーの(清川さん・岩瀬氏・段上氏・高橋氏)、ウインザー城見学のロンドンで同室(三谷君)、ロンドンでサンドイッチをおごってくれた(ジェファニーさん)、アムステルダムで風邪薬をくれた(阪大、片岡さん)、ブリュッセルで同室(辻本氏)、パリで同室(阪大の藤田氏・山中氏)、パリ〜マドリの夜行の(小林晴美さん)、マドリッドの(杉浦さん)、セゴビアの(実くん)、グラナダの(酒井さん)、バルセロナ・ニースの(石原君)、ニース・ユングラフの(東大、水野氏)、フランクフルトの(大月くん)。偶然このHPみたらメール下さいね。


k-naruse@ryuundou.jp 成瀬賢次あて



 ※ ダイヤモンドスチューデントツアー
 「地球の歩き方」は1971年にはじまった大学生を対象に、
 社会人になる前の海外研修旅行企画DST(ダイヤモンド・スチューデント・ツアー)
 に始まります。
 そのツアーに参加された方々の生の情報や体験談などを集め、
 1979年に販売を開始したのが「地球の歩き方」なのです。
 〜「地球の歩き方」ホームページより






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